ことばの百科店

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変換ミスは国語力の問題?

先日、あるテレビ番組見ていて変なことに気づき、「ん?」と思ったことがあります。

安倍総理大臣が、持病の悪化などを理由に辞任する意向を固め、後継者選びに国民やマスコミの関心が高まっていたころのことです。(この原稿を書いている今の時点では まさにその真っ最中ですが)

その番組は後継者の有力候補の一人と目された岸田文雄元外相(当時・自民党政調会長)に焦点を当てて、ご本人や周囲の政治家たちの発言を取り上げていたのですが、字幕(テロップというのですか?)には大きく
⌘⌘⌘「分断から強調へ」
と書かれていたのです。

このニュースに興味や関心をお持ちの方ならご存知だろうと思いますが、岸田氏がテーマとして掲げたのは
⌘⌘⌘「分断から協調へ」
でした。

「強調」と「協調」。どちらも「きょうちょう」です。でも「強調」と「協調」では随分意味が違いますよね。その番組を最後まで見ていたわけでもないので結局どうなったのか、ずうっと「強調」のままで行ったのか、どこかでスタッフが気づいて訂正したのか、私は知りません。

日本語の間違い(書き間違い)の中でも、いわゆる「変換ミス」に分類されるタイプでしょうが、実は、テレビ番組でこういうのは意外と珍しいようです。私が気づかないだけかも知れませんが。

書いた本人だけでなく他の何人かのスタッフの目に触れることで、ミスが視聴者まで届いてしまうのを防いでいるのでしょうね。

それと対照的なのがインターネットの特にSNSと呼ばれる世界ではないでしょうか。ネットで公表する時点までは本人しか見ない・読まないが普通でしょうから、漢字の間違い(大半が変換ミス?)がない記事を見つけるのが難しいくらいです。

「対象」と「対照」と「対称」、「関心」と「感心」、「以前」と「依然」、「以外」と「意外」などは変換ミスの定番といってもいいでしょう。

もっと凄い?のもあります。私が実際に目にした実例を紹介します。(「照会」ではありませんww)

⌘⌘⌘「無断しょう禁止」
⌘⌘⌘「来ないだの日曜日」
⌘⌘⌘「うちで買っている犬」
⌘⌘⌘「売らないを信じる人」・・・

まあ、こんな極端なのは例外かもしれませんが。

あるブログで「国家主導資本主義」が「国家手動資本主義」となっているのがありました。
ブログ主は「主導」と書いているのですが、それに対して読者が投稿したコメントでは「手動」なっていました。

「来ないだの日曜日」みたいな極端な例はこの記事では取り上げないことにします。
問題は「主導」と「手動」、「以前」と「依然」などの類(たぐい)です。

昔は、自分が執筆した文章を大勢の人々に読んでもらおうと思ったら、新聞・雑誌・書籍などの出版物という形にするしか手段がありませんでした。

この方法だと、よほど小さな会社ならともかく普通は編集者や校正担当者が目を通してから印刷工程に進みます。プロの目でチェックされるわけですから、例えば、

⌘⌘⌘「私はそういう問題には感心がない」とか
⌘⌘⌘「当事者から以外な答えが返ってきた」

などという書き間違いはその場で引っかかってしまい、世の中に出回ってしまう心配がありません。

しかし、自宅のコンピューターのキーボードをかちゃかちゃ打って書き上げた文章はそんな過程を通りませんから、サーバーに送信した時点でおおぜいの人、大げさに言えば何億人の目にふれることになります。

誤字や変換ミスのみならず、字が一つ抜けていたり余計な字が入っていたりしてもそのままです。

少し前に私は「定番といってもいいでしょう」と書きましたが、ようく見たら「‥いいいでしょう」になっていました(^^;)

「主導」と「手動」や「以前」と「依然」のような間違い(変換ミス)はその人の国語力の問題だと主張する人がいる反面、単なるミスなんだから、うっかりミスなんだから国語力とは関係ないという人もいます。そのあたり、どうなんでしょう。

私は、どちらの主張も筋が通っていると思います。
うっかりミスはあくまでもミスですからその人の国語力とは関係ないでしょう、確かに。
問題はその次の段階です。

ただひたすら入力キーを打ち続けるだけで、自分が書いた文を全く読み返さない人っているでしょうか。
大抵少しくらいは読み返すと思います。どこか間違っていないか、字が抜けていないか、同じような用語が重複していないか。

どれも重要ですが、同音異義語を正しく使い分けているか、という点も重要なポイントではないでしょうか。

例えば、「兄貴と僕とは性格が対象的なので・・・」などというのが出て来た時、うっかりするとそのまま見過ごしてしまいがちです。そんな時、「ん?」というある種の「引っかかり」を感じるかどうか、知識や理論ではなくもっと本能的なところで「引っかかり」を感じるかどうかが意外に重要です。

その辺が実は国語力の違いかもしれません。その国語力ってどこから来るのかと言うと、当然いくつか挙げられるでしょうけど その一つとして「読書量」というものもバカにならないと言えます。

それも幼い頃、5~6歳頃から今に至るまでの読書の積み重ねが大きな力だと思いますがいかがでしょう。

私自身は国語力も読書量も人様に自慢できるレベルではありませんが、「国語力の問題だあ!」に何となく共感する部分もあります。

変換ミスは文を書く人の国語力の問題だという主張がそういった点を指摘しているのなら、単なる「うっかりミスだから」では片付けられないと思います。

「初めての経験」を「始めての経験」とタイピングしてしまう人は、おそらく、鉛筆で手書きする場合でも「始めての経験」と書きそうな気がします。


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